命の重み
「マリエ、お祈りした?」
チャイを飲もうとした時に、シルビアに言われた言葉。 「あ、そうだね、ごめんね、忘れてた」 ケニアに来て、日本と違うと感じる事の一つ。 学校の教育課程の中に、宗教の時間がある事。 子供達は小さな手で目を覆い、一生懸命お祈りの言葉を口にしています。 私もちゃんと姿勢を正して手を合わせて、 「いただきます。」 「なんて言ったの?」と聞くシルビアに、 「これが私の祈りの言葉だよ。」 と。 他の何よりも、自分にとって馴染みがあるこの言葉が、私にとっては祈りだと思うから。 仕事帰り、町を歩いているとばったりアンに会いました。 そのままの流れで服を見に行こう!となり、近くのお店へ。 こちらの洋服屋さんでは、ハンガーに掛けられた服が壁一面にディスプレイされ、高いところにあるものは長い棒を使って器用に出し入れします。 「あの服、マリエにいいんじゃない?」 と言われて取ってもらった服を試着してみようとハンガーから外した瞬間、 ボタボタボタッ!! オーマイガ~ 大量のゴキブリが出てきました。 「きゃ~~~!!」 結局、その服、買いませんでした・・・。 その後、アンの家へ。 「今日の夕食はチキンにするから一緒に食べよう」 との事。 もちろん、スーパーで買ってきたチキンではありません。 先日の日記にも登場した、アンの庭の例のやつら。 そう、結局この弱肉強食の頂点に立っているのは我々人間なのです。 ナイフ片手に追いかけまわすスーザンと、必死で逃げるニワトリ達。 運悪く捕まえられた一羽の、世にも悲痛な最期の叫び声が聞こえた後、 シーン・・・。 首が切り落とされました。 遠くで固まって、仲間を見守る彼らのおびえた表情が何とも言えない。 その後、物欲しそうに眺めている猫を追い払いつつ、アンが羽をむしり、炭火であぶっていく。 そしてそこから解体作業です。 「マリエも覚えなきゃいけないから、さあ、手伝って!」 ということで、一緒に作業。 というよりも、後半はほとんど一人でやってた気がする。初めてなんですが。 この作業、 「無理!」 って言う人もいるんだろうな。 「目の前で殺されるのを見るともう食べれない。」 とか。 そうアンに話すと、 「マサイだってそうだよ。私も初めて見た時はさすがにショックだった。今だって、気持ちは良くないよ。」 私も、最期のあの声を聞いた時には胸がグゥって、苦しくなった。 それが、命の重みだと思う。 人が、動物が、生きてるってことは他の命の犠牲の上にある。 植物にしても他の動物にしても、生きてる命を摘み取って、それを自分達が生きる為の糧にしている。 命を奪う瞬間に胸が苦しくなるのはあたりまえの事。 でも、それを「かわいそう」って言うのはおかしいなって、いつも思ってた。 それじゃあ、今まで生きてきた事や食べ物を口にする事自体が罪? 病院で、小枝の様にやせ細った手足の赤ちゃんを抱く時にも、同じ命の重さを感じるよ。 今日食べた物は、血となり肉となり、明日へのエネルギーとなって、命は廻っていく。 だから、私は自分の手を汚してナイフを握るし、目の前の一杯に、一皿に、心から感謝の気持ちを込めて、 「いただきます」 って言うんだ。
by chura-harufu
| 2010-05-05 06:55
| ケニア生活
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